さっきのきつみ

玄関をあがって右にある応接間。自宅のそこに人が集まり流れ作業をしている。

何の目的か分からないが、一方、そのような作業が定期的に自宅で行われているという印象もある。誰かが人を集め、私はいつも自宅の応接間を提供しているらしい。

今日は見慣れぬ若い女性ばかり来ている。最近あまり関わらないようにしているので、どんな人たちがこの作業に参加してるのか、よく知らない。ただその中に彼女を見つけた時はとても驚いた。偶然にしても希有なことなのだと思う。作業する女性グループの中にマキナが混じっていたのだ。

ずっと連絡のとれなかったマキナ。その彼女が今、ここにいる。ひょんなことで、簡単に自宅で、でもようやく、巡り会えたのである。独りになってからずっと、私は彼女との再会を心の底から希求していた。

この作業に私が関与してること、関与どころか、作業が私の家で行われることを彼女は知っていただろうか。目が合った瞬間の表情からすると、おそらく彼女も知らなかったろう。ふいに出会い、互いに凍り付く。彼女にとっても思いも寄らぬ事であったのだ。

しかしお互い弁えていた。二人の関係を表に出すべきではないと。ここでは絶対伏せておかなくてはならない。

マキナは私からすぐに目を逸らす。中断していた手作業の、手元へと視線を落とす。そのまま黙々と作業をこなすのだった。

場所を提供してることだけあって私は手伝い程度だ。それも疲れればいつ止めていい。

眠くなってきたのである。

作業を抜けて二階へ上がることにした。二階の、この応接間の真上にある八畳間がいつも私の寝ている部屋である。

床を出し横になる。

右側を下にして横になる。すなわち、南側の窓の方へ向いて、背は部屋の出入り口、開いたままの扉を背にしている。

深い眠りに落ちてゆく。

それでも人の入ってくる気配には気付いていた。

そして私の背、部屋の北側に当たる出入り口の扉へ向けた背中、そこにぴたっと体を付けてくる。

添い寝だ。寝返りを打って確認しなくても分かる。マキナなのである。彼女は優しく触れてくる。どうも裸らしい。それは記憶だった。肌の記憶だ。もうずっと前のことなのに、私の背中は彼女の肌を覚えていたのだ。私も裸で寝ていたのである。

目は覚めていたがそのまま寝た振りをしている。彼女には私が眠っていると思ってもらった方がいいと感じていたのだ。眠っていると思わせたままがいいのである。これから言うことは寝言だと思ってもらった方がいいのである。

そして、辛い寝言を口から吐く。

いきなり独りになってしまった、とても寂しく、辛い。

そんなことを口にした。目を瞑ったままで。

それを訊いた彼女は優しく撫でてくれる。

それで私はようやく寝返りを打って彼女に絡み着く。そして抱き合う。

しばらく抱き合ってから体を起こした。互いに確認し合うかのよう身を離し、見つめ合う。首から肩の流れる線が美しい。鎖骨の凹みに惹かれる。若くしなやかな身体、すらりとした手足。間違いなくマキナなのだった。

意外なことに彼女は下品で直接的な名詞を使う。一般に男性器を指し示すその言葉を口にして要求してくる。彼女も彼女で、猥褻な写真によくあるような格好をして、その女性側に対応する部分を自ら誇張するよう見せつける。指を使っている。右手中指が微妙に動いている。それは自分からしてるのだった。充分湿っている。てかりが見られる。そしてその下の方に液状の、乳白色の濃いものが溢れている。そんな様態を見せながらも彼女は涙を流している。嬉しさのあまり泣いているようなのだ。

そっと耳元で、今、どこで暮らしているの、と訊いてみる。

高知の南○というところ、と返事が聞こえる。

聞き違いだろうか。聞いたこともない地名だ。

明日朝一番で戻らないといけないと言う。ダンスカンパニーに所属しているらしい。そのカンパニーの公演でもあるのだろう。どうしても明日、高知へ帰らなければならないと言う。

またすぐお別れだ。でもこうして出会えたのだから連絡先さえ分かればまた会える。初めて会った頃とは違い、今は携帯電話があるのだし、連絡の取りようはいくらでもある。

再び私たちは強く抱き合う。そして彼女の耳元で囁くのだった。

「一緒に暮らそう、結婚しよう、それから今度は子供を作ろう。」

しかしちゃんと聞こえていないようだった。何も言わず彼女は私を口に含み始めた。どうもずっと、そうしたかったらしい。

私は寝床に膝を着き上半身を真っ直ぐ起こしていた。彼女は両手両膝を着いた格好、四脚で体を支え、私の腰の位置に顔をもってきている。とても他人には見せられない格好で淫らなことしてる。向こうから見えたら大変だと思い、そこにあった夏掛けを目隠しにしようとした。北側にある扉が開いたままだったのだ。廊下の向こうから見れば丁度開いた扉が額縁のようになって、そんなことをしているその横からの状態が絵のように見える位置なのだ。夏掛けを幕のようにして腰から下を隠さなければならない。無心にしてる彼女をすっぽり隠さなくてはならない。

私が気にしている開け放しの扉。そこからは真っ直ぐ廊下が延びている。扉を出てすぐ右。さっき下から上がってきた階段の降り口がある。そこを過ぎて左手には簡易流し台がある。そのさらに向こう、そこは増築される前からの母屋部分になり、古い板張りの廊下で丁字になってぶつかる。ここからは見えないが、その板張りの廊下を左へ行けばすぐもう一つの古い階段がある。母屋側の以前からあった階段だ。逆にその廊下を右に行けば、出ていったカナエサンが仕事場として使っていた六畳間があり、さらに突き当たりには昔姉の部屋だった、現在の私の仕事部屋がある。

その、ここからは見えない私の仕事部屋の方からだろうか、廊下を楽屋代わりに使っているのか、そこから控えのダンサーたちが駈けだしてくるのである。団員の男性パフォーマーだ。母屋側の古い階段を降りて舞台へ躍り出るようだ。次々と勢いを付けてそこを通過して行くのが見える。

脇目も振らず通過して行く彼らはこちらに気付いていないようだった。だが誰か、ほんの少しでもこちら側へ目を遣れば私が女性とやっていることが見えてしまう。それでも私は彼女のすることに身をまかせていた。望んでいた快楽を僅かな不安で中断させるわけにはいかなかった。行為を続けていた。

一人どうもこちらの様子に気付いたらしい。それはヨシヤだった。じろじろこっちを見ている。変なことをしてるんじゃないかと目敏く気付いたようだった。

確認しようとしてるのだろう、こっちへと近付いてくる。

妙に廊下が長くなっている。幅も廊下としてはとても広い。ヨシヤがジグザグに、物陰に身を隠しながら少しずつ近付いてくるのである。こちらから見えているのに隠れてるつもりなのだろうか。物陰から顔だけ出して様子を窺い、また斜めに廊下を横切り次の物陰へとこそこそ移動する。

滑稽なヨシヤの動きを目で追っている私はもちろん萎えてきている。それでもマキナはくちゅくちゅと、その行為を続けてくれる。

私は何を畏れているのだろう。そう、自問した。欲望そのものは恥入ることではないはずだ。淫らな行為であっても、互いにそれを求めていたならそれは幸せな営みではないだろうか。だいたい自分の寝室で何をしようと構わないはずだ。まして今や私は独身である。道義的な問題を問われる謂れもない。堂々としていればいいのである。

おそらく問題は相手がマキナであることだろう。ヨシヤの口から私がマキナに欲望を抱いていたことを面白おかしく言い触らされるのが怖いのである。

しかしそんなことで、ずっと希求していたこの大切な時間を途中で止めるわけにはいかなかった。マキナさえ隠されていればいいのである。私の欲望自体を隠蔽する必要はない。

だから場所を変えることにした。

夏掛けで彼女をくるんで隠してしまう。全身、頭からぐるぐるに。昔サトコからもらったペルー旅行の土産品、派手な織物。真っ赤な地に青や緑の模様が入っている。夏掛け代わりに使っていたその布で彼女の裸体をくるみ、抱き抱えるようにして部屋を出る。廊下を進み、母屋側に突き当たり右へ。増築した当時は姉の部屋だった、現在の私の仕事部屋へ向かう。そこなら扉が閉まる。二人きりになれるのだ。

しかし仕事部屋の手前で出番を待つ男性パフォーマーたちに逢ってしまった。狭い廊下で並んでしまう。最近入団した団員だろう。面識のあるような、ないような、若い男たちだ。あきらかに人と分かるその派手な色の大きな包みを怪訝そうに見つめている。黙って、私に何か説明しろと謂わんばかりに。

ナニカワルイ？

と彼らに向け発言したような気もする。開き直っていた。マキナとは以前からそういう関係だったのだし、皆も察しが付いていたでしょ、そうまで言ってしまいそうな勢いだった。だが階下ではパパ・タラフマラの舞台、本番が始まっていたのである。彼らは私の痴情にかまけている暇はなさそうだった。

仕事部屋は散らかっていた。片付けをしないのはいつものことだが、それより気になったのは北側の小窓が開いたままになっていることだった。入って左側にある部屋の北側の小窓。そこの窓は普段、決して開けはしないのに。誰かが勝手に部屋に入ったのだろうか。それとも何かの都合で自分で開けたのに、忘れているだけだろうか。

気に掛かりつつもそれより先にしなくてはならないことがあった。包んだマキナを横たわらせる椅子、折り畳みの安楽椅子を取りに行かなくてはならない。使わない時は邪魔になるので別の場所に置いてある。軽く部屋を片付けてから、包んだままのマキナを残し、すぐまた部屋を出る。

中断されたマキナとの行為の続きに早く戻りたかった。男性パフォーマーたちのいなくなった廊下を進み、さっきいた部屋、寝室へと向かう増築した部分の廊下へ左に折れる。途中、折り畳み式安楽椅子は見あたらない。ならば寝室のどこかに置いただろうか。とそこで、寝室手前にある階段の降り口のところできつみを見る。犬と暮らしていたのだった。独りになってしまったその翌日から飼い始めた犬だ。もらった時はちっちゃかったのに、今はもう随分大きくなっている。くりっとしたまなこを私に向けて、なにやら嬉しそうに舌をへーへー出している。

そのまま見遣って寝室に入る。

ついさっきいた部屋だ。なのに南側の大きな窓が開いている。雨が吹き込んだら大変と思い閉めようとする。しかしそのサッシの開閉構造が見慣れぬものになっていた。何かが変だと感じはじめていたが、早く行為の続きに戻りたいばかりに気に留めないようした。マキナを包んだまま仕事部屋に置いてきたのだから。

戻ろうとすると、そこにカナエサンが立っていた。

若い人の格好だった。デニムのベストに白の、柔らかい生地の夏物ワンピース、襟首は広く、アクセサリーが目立つ。悪戯っぽい目つきで私に何か話しかけようとしている。

本当は驚いたのだ。急にそこにカナエサンがいたので。

ただ、敢えて平常の振りをした。平常どころか、いること自体全く無視する態度をとってみた。

よりによって、どうしてこういう時に戻ってきたのだろう。向こうの部屋にマキナがいる時にかぎって。今日ようやく彼女と出会ったというのに、そんな日に何故かカナエサンが戻ってきたのだ。勝手に出てったくせに何の前触れもなく。

私は怒りを表に出さないようにしていた。冷たい態度をとるに留めた。

「どうして私の話を聞いてくれないの？」

私の気をひこうとしているのか、カナエサンはそんなことを言ってくる。そして、また元の暮らしをしようと、誘ってくるのである。今さら何を言ってるんだろう。正直もうどうでもよかった。そんなことより今だ。マキナを待たせている。一刻も早く戻って欲望を満たしてしまいたい。中途で抜け出してきたのだから。カナエサンを無視するため、わざと背を向け、用もないのに棚から何か探す振りをしている。

一方で向こうにマキナがいることを知られるのはまずいと思っている。だが、別れたいと言い出したのはカナエサンの方だ。置き手紙一通残し、ある日いなくなった。一方的に離婚届けを送り付けてきた。本当の理由を聞かされることもなく、私の署名と印鑑だけが空白になった書類。もう二年経っている。正式に別れた今、私が誰と愛し合おうと自由ではないか。私は自分にそう言い聞かせている。なにも後ろめたいことはないのだと。

そして思い切って言ってしまう。

「向こうの部屋に恋人がいる。恋人を待たせているんだ。」

振り切るよう部屋を出たものだから、そこでカナエサンを見失ってしまう。そしてそのままマキナを残していた仕事部屋に戻ってきている。いつ見つけたのか、探していた折り畳み式安楽椅子を小脇に抱えて。

きつみがいる。勝手に部屋に入ってた。ペルーの織物ですっぽりくるんだマキナが不思議なのか、腰を引き気味にくんくんしている。

「ここに横になって。」

折り畳み式安楽椅子を広げて彼女に催促している。そうしてから、まだ開いたままになっていた北側の小窓を閉める。

（どうして開いてたんだろう...。）

そうよぎったとき、カナエサンを見失っていることが急に気にかかる。もう一度確認したほうがいいさろう。中断されたマキナとの行為に心おきなく集中するためにも。

移動する。さっきの部屋、寝室に戻る。誰もいない。

あれ、また、開いてる。

さっき閉めたはずの南側の大きな窓が、また開いている。

仕事部屋の小窓といい寝室の窓といい、これはもう誰かが開けたとしか考えられなかった。そして誰かとは、カナエサン以外思いつかないのである。なにか企んでいるのだ、きっと。

ふと見るときつみがいる。向こうの部屋を出るときついてきたのか、今、この寝室にきつみがいる。いつ私を追い抜いたのだろう、先回りしているようなのだ。いや、部屋に入るとき、確か階段の脇にいたはずだと思い振り向くと、やはりそこにきつみがいる。こっちを見て突っ立っている。そこでまた向き直り、開いた窓のある部屋の南側へ視界を戻すと、またちゃんときつみがいる。同一視界にはきつみが一匹。視野の外、私の足下をきつみはすり抜けて移動してるのだろうか。ちょろちょろちょろちょろ動く犬だ。しかしそれよりカナエサンが見あたらない。見失ったままだ。途中の廊下ですれ違っていないのだから向こうの部屋に移動したとも思えなかった。だが念のため確認しようと急いで向こうの仕事部屋へ戻っていく。

廊下を戻る。階段の降り口を過ぎて左手に流しがあって、そして母屋側の廊下に突き当たり、右へ折れ、仕事部屋へ。

マキナはまだペルーの織物にくるまれたままだ。安楽椅子の上に横たわっている。またきつみがいる。先に入り込んでたのか、くるまれたマキナにちょっかい出そうとしてる。

カナエサンはいなかった。ああ、この部屋には入り込んでないな、と安心する。ならば最後の確認だ。もう一度寝室へ戻ってカナエサンがいないことを確認すれば、安心してマキナとの行為を再開することができる。

仕事部屋の扉から古い板張りの廊下を進み、左へ折れる。増築した側の廊下を、簡易流し台を右手に見てそのまま進み、突き当たりの寝室へ向かう。

その途中、寝室の扉直前左にある階段の降り口、そこにまたきつみがいる。部屋を出た時ついてきて、私が目を離した隙に先回りしたのだろう。神出鬼没だ。そして寝室へ足を踏み入れる。だが部屋に入ったらまた、きつみがいるのである。きつみが多すぎる。もう、おかしい。この時ようやく気付くのである。さっきのきつみは偽物だ。

嫌な予感が吹き出してくる。

必ず開いている窓のことや、きつみが多すぎること全て、見失ったカナエサンと何か因果関係があるに違いない。具体的に何が嫌で、何を畏れているのか分からないまま慌てている。

息を切らせ急いで廊下を戻る。マキナを残した仕事部屋へ大至急、戻る。

部屋に入るととんでもない光景が目に飛び込んできた。きつみが二匹交差している。そして正に今、ペルーの織物にくるまれたマキナにその交差した二匹のきつみがしがみつこうとしているところだったのだ。X状に重なった二匹のきつみ。まちがいなくどちらかが偽物だ。心拍数が上がる。呼吸も荒くなる。恐怖と怒りがないまぜになってこみ上げてくる。駆け寄りマキナから引き離そうとする。重なった、上の方のきつみ、そのふさふさした身体を掴む。いや、ふさふさしていない、毛が、硬い、ナニカが違う。

声に出したが、思うよう声が出ない。たどたどしく、苦しく絞り出すようになってしまった。

オ・マ・エ、キ・ツ・ミ・ジャ・ナ・イ・ナぁ....。

結果的に、低い、恨みの籠もったような声が出ている。

一音づつ自分で聞こえるのである。

はっきり寝言を言ってると、そう解ってきて、言ってる途中から夢から覚めてきていた。

2011年7月31日