コタツを出す場所

澱んだような蛍光灯の光。窓のないビル一階、北向の一室は昼間でも明かりを点けないと真っ暗。しかも狭くて散らかっている。机の上だけではない。床も、資料を詰めた段ボールや役者たちの私物、今日はやけに人が多い、その荷物とかが置かれて足の踏み場もない。久しぶりに中野の事務所に来ている。

またライブをやり始めることにしたようだ。かと云ってバンドを再結成するわけではない。ピアノとヴォーカルだけのライブをやるようなのだ。こないだやった気がする。と云うのも、ステージの照明が鍵盤に反射した映像が一瞬脳裏に浮かんだくらいだから。その時のヴォーカル、それが今一緒に書類を探している制作の女性だったろうか、どうもそれははっきりしない。

彼女は現在ここの制作をしている。面識はあまりないはずだ。ただ、またライブを始めるので、色々と手伝ってもらう必要があって、こうして彼女を訪ね事務所へやってきたわけだ。

10階へ行かないとならないと彼女は言う。一階の事務所だけでは資料の置き場が無くなって新たに倉庫を借りたらしい。バンドをやめてから随分の年月が経つ。当時の資料はたぶん10階の倉庫にあるだろうと言う。

彼女と二人でエレベーターに乗る。

ドアが閉まり私は10Fのボタンを押そうとするが、その縦に並んだ四角いボタンは三つだけ。すなわち下から順に１、２、３と、3Fまでしか無い。10Fのボタンが無い、と慌てていると「行替えして右側にあります。」と冷静に彼女が教えてくれる。よく見れば、確かに行替えして、右の列に10F以降が縦に並んでいる。こんな分かり辛いボタン配置があるだろうかと怪訝に思っていたが、3階になってようやくその訳を知った。エレベーター自体が本当に筋変えになっていたのである。3階で停止すると扉と反対側の壁が倒れて通路が現れる。車両と車両を繋ぐ連結部、その蛇腹で被われた場所の足下、小さなバッテンが沢山浮きだした鉄板の渡しみたいな可動する床、それを長くしたような通路。実際エレベーターの側面が倒れてそのまま鉄板の床になったようなのであるが、そういう可動式の通路であり、そしてその壁伝いには派手な赤や青の塗装が施された配管が幾筋も通っている。昔の特撮もので見る秘密基地内部通路を想起させるそこを通って、10Fへ上がるエレベーターに乗り換える仕組みなのだった。

彼女が先導する。私は後を付いて行く。けっこう身長があるのだな、と後ろ姿を見ている。

通路を右へ曲がり、そしてまた左へ曲がった奥で10Fへ上がるエレベーターに乗り換えた。

10Fの倉庫で二人きりになると、もしかすると愛し合う関係になるのかもしれない、と、以前から彼女を好いていたような錯覚に陥る。だがそんなはずはない。面識はほとんど無いはずなのだ。

1階の事務所に戻っていた。

机の上で資料を眺めていたが、うっかりして、椅子とベットの宣伝資料を取り忘れていたのに気付く。だがまた10Fまで行こうとは思っていない。面倒くさいからだ。

それより徐々に制作の彼女の姿が意識されてきた。制作の、すなわち事務職の女性という、謂わば概念だったものが、肉体を持った、容姿を伴った存在へと移行していたのである。

段々彼女が籐原純香へと移行してきた頃には環八の側道に出したコタツの中に入っていた。