フランスパン
フランスパン
フランスパン。
形は長いフランスパンのようだ。1メートルはあるだろうか。頭から尻尾まで括れる部分もなく、偏平のずんぐりした体。そして、その重い胴体を支えるなど到底出来そうもない、脱臼してるかのようにぶよぶよした手足が、申し訳程度に生えている。大きな横縞模様があるかもしれない。だが暗くてはっきりしない。
それは爬虫類である。夜中、とても大きなトカゲが仕事部屋に入ってしまった。
何時、何処から入ってきたのか解らない。
暗い部屋の片隅。
以前はダイヤル式黒電話を置いていた台の上、今は印鑑やら通帳やら、いざという時まとめて持ち出せるようにと把手の付いた缶を置いている、その辺り。埃を被りごちゃごちゃしていて、掃除した時のまま放っぽり出された雑巾すら丸まっている場所。そこにべたっと、置かれた物の上そのままに体を預け、凸凹になって張り付いたよう巨体を曝している。
素手で掴むなぞできっこない。どうやって追い出すか思案していた。棒でも取りに行こうか迷っていたのがいけなかった。トカゲはどたっと台の裏側へ落ちてしまい、そのまま視界から消えてしまった。
家具の裏側。そこは身近な闇である。もうどうすることもできない。うっかり家具を動かせば、誤って潰してしまうかもしれないのだ。
途方に暮れて、真っ暗な部屋の中央で床に座り込む。
ゼットライトと云うのだっけ。スイング・アームの付いた電灯。この所々黒い塗装がはげ落ち、錆の浮いたゼットライトは、子供の頃、アップライト・ピアノの上に備え付けられ、楽譜を照らしていたものだった。今はネジを締め付け机に固定させる根付部分を失い、そのまま使い用もなく床にころがったままになっている。長いこと使った記憶は無いのだがコンセントには繋がっている。スイッチを入れ、私はまずベッドの下を照らしてみた。すると、やはりそこにいた。白熱電球がいたずらに影を強く作り出す。トカゲが照らされている。
ベッドの向こうはガラス戸になっている。ガラス戸を開ければ、床と戸口の段差は無く、そのまま庭へと追い出す事が出来そうだ。試しに照らしたままのゼットライトをトカゲに近付けてみた。
電球の傘が邪魔をしつつもベッド下の隙間にゼットライトを突っ込み、柄を持ってぐりぐりと押すのである。
嫌がっているのかそれとも威嚇のつもりか、大トカゲは口をぱっくり開け、電球の傘に向かってくる。歯の無い、ヌメっとした口だ。歯が無い代りにタラコのような分厚い舌が、明りの所為でピンク色に輝いている。こうしてしげしげと顔を見ていると、それは図鑑に載っているオオサンショウウオに似ている。目はとても小さく、舌も二つに割れていない。だがこれは、やっぱりトカゲなのである。確信を持って、そう思っている。
トカゲに気を取られていたが、その間にとんでもないことが起きていた。
ガラス戸を開けていた所為で、今度は庭からカエルが侵入しかけていたのだ。
緑色に黒の斑模様。ダルマガエルではないだろうか。私はトカゲに構うのを中断し、慌ててガラス戸を閉めた。室内との境目、桟の上でぐずぐずしていたカエルは、突然閉められたガラスに体全体を押し付ける格好で、そのまま止ってしまった。粘膜質の膚がガラスに密着している。金色のとびだした目玉と並んでダルマガエル特有の蝸牛、耳に相当する丸い部分が吸盤のようにガラスにひっついている。
気味悪く思い見つめていたが、自分の犯した過ちにここで気付いてしまう。ガラス戸を二重に閉めてしまったのだ。
横引き二枚戸のガラス、その左側、カエルのいた方ではない、反対側の閉っていたガラス戸も一緒に動かしてしまい、二枚のガラス戸でカエルを挟んでしまったのである。
一匹だと思っていたダルマカエルは二匹だった。その二匹が組んず解れつ歪な格好で二枚ガラスの狭い壁に挟まれもがいている。
今となってはどうでもいい。
トカゲが入り込んだベッドもカエルを挟んでしまったガラス戸も無くなってしまったからだ。
部屋から庭へ通ずる正方形の間口だけがぽっかり開いている。
夜明け前のぼんやりとした薄明かりの中、小雨がしとしと降っている。トカゲやカエルの事で二階に寝ていたカナエサンが降りて来ていたようだ。私があまりに脅えるものだから、呆れてしまったのだろうか。愛想を尽かし、カナエサンは今、私の元を去ってゆく。ぽっかり開いた間口から湿った庭に出て、そのまま遠のいてゆく。宙に浮いたような後ろ姿が段々と小さくなってゆく。
ふと視線を落とす。ガラス戸を取り去った間口の桟。そこに横一列になってカエルがいっぱい。部屋の中から庭へと出ようとしているのだ。ヒキガエルも何匹か混じっている。いつの間にこんな沢山入っていたのだろう。ぞろぞろと、中には跳びはね、他のカエルの上に乗り掛かっているものもいる。体を捩じりゆっくり四脚を動かし、中途半端な格好で静止したままのものもいる。みな一様に庭を向いている。桟と庭の間には段差があったはずなのだが、今はなだらかなに傾斜が付き、外と内の境界を曖昧にしている。
濡れた庭へ向かってカエルの群れが出て行く。その光景をぼんやり見つめているうち、私の心は安らかになり、何かから解放された清々しさを感じていた。
2007/04/24(火)
2007年4月24日
フランスパン