ハカリサンニハカリガアリ....

昼間の事だったが、燃料が空になってしまった。

動かなくなったＸＲホンダジムニースズキを放置したまま、途方に暮れて歩いていた。そんな困っている時に丁度、路上駐車されたハカリサンのジムニーに気付いたのだった。

間違いない。ハカリサンの車だ。私のジムニーと同じ年式、白の幌タイプ。後方が斜めに切り取られたような幌の形状は、そう滅多にあるものではない。後ろから近付いてみると運転席にハカリサンが座っている。メールでも打っているのか、携帯電話の操作に熱中しているようだ。

そもそもここは駐車し易い場所だ。すれ違うには難儀する道幅も、この右側へ分岐する上り坂入り口付近では、対向車の切り返し角度の都合で幅を広くとっている。一時的な駐車を促すような場所なのである。ただここが住宅街の脇道なのか寂れた山村の小径なのか、私には判断できない。多分、そのどちらでもあるのだろう。どこであるにせよ、ここでハカリサンと出会えたのは幸運である。彼女ならきっと私を助けてくれるはずだから。

窓越しに私は訳を話しはじめた。ガソリンを分けてくれないか、そう頼んでいるのだが、ハカリサンは携帯電話の液晶画面から目を離そうとしない。口元がゆるみ、微笑んでいるように見えるその表情からすると、メールのやり取りに夢中になっている様子である。私の話など聞いていない。こんな場所で出会った事自体もっと反応があって良いはずなのに、彼女は私を気にも留めず、もっぱら携帯電話という小型端末に意識を集中させている。無理もない、と思い始めた。仮に話を聞いてくれたとしても、手ぶらの私に一体どうやってガソリンを手渡してくれるのか。液体を運ぶ方法、その条件が備わっていないのである。ハカリサンにもどうにもならない事なのかもしれない。

私が諦めかけたそんな時、無言でガソリンを手渡された。ハカリサンが差し出してきたのは把手付きの白いレジ袋、コンビニで渡されるレジ袋にそのままたっぷりとガソリンを満たした状態のものだった。液体が、袋をぱんぱんに膨らませている。折り目の付いたあの部分もすっかり引き延ばされ、把手部を除き袋全体が丸々としている。不安定な安定、そんな、どちらとも確定しない状態が物質化したようなものを、私は慎重に受け取る。ハカリサンは私を無視していた訳では無かったのだ。しかし安堵とは裏腹に一瞬ではあったが、先行きの不安がまた新たに脳裏をよぎる。このすぐにでも崩れそうな袋からどうやって給油口へ注げばいいのだろうか。何か上手い方法を考えないといけない、そんな思考が働いた瞬間、ハカリサンが今度はポンプを差し出してきた。石油ストーブの給油で使うビニール製の簡易手押しポンプだ。何という備えの良さだろうか。感心と感謝の入り交じった気持ちを伝えたかったが、相変わらず彼女は携帯電話の文字入力に夢中なのであった。

右手にポンプ、左手にはずっしりとしたガソリン袋をぶる下げて、ＸＲホンダジムニースズキを駐めた場所まで戻ってきた。そしていざ、給油口の栓を開ける段になって、自分の両手が塞がっているのに気付く。

迂闊だった。栓を開けるためについ、左利きでもないのにガソリン袋の方を地面に下ろしてしまったのだ。

置いた途端時間が静止した。その時、いけない、と思っているが、視覚野では静止画像で固まっている。目の前で自立する物体のように、まだガソリンで満たされた白いレジ袋が地面に立っている。だがそれを見ている私の時間はするると流れ、次の瞬間やはり見事に崩れ始める。張力で丸々と膨らんだ白い袋全体が、まるで血の気が引く時のサーッとした落下感を表象するかのよう、目の前で萎んでゆく。箍が外れたガソリンは液体の道理としてその高さを失い、平たく拡散する状態を目指し袋から溢れ、みるみる流れ出てゆく。

やってしまった、そう思うと同時に引きかけた手が再び伸びて、縮んでゆく袋の把手を追いかけはじめた。すると、運良く輪に指がかかり、袋全体が崩れ落ちる前に引き上げる事が出来た。

素早く対応した結果、思ったより損失は少なくて済んだようだ。もったいないことをしたが、これくらいなら何とかなる。二度とこんな不注意を繰り返さぬよう、慎重に残り半分くらいをポンプでくみ上げ、給油を済ませた。

ハカリサンには幾ら払えばいいだろう、そんな事を考えながら来た道を戻っていた。半分の百五十円くらいでいいのではないか。溢した分を含めれば半分以上減っているのだが、百五十円ならきりもいいと思うのである。

どうもハカリサンとは口を利く機会が無さそうだ。戻ってみると、まだ文字入力に勤しんでいる。私が礼を言っても上の空だ。借りたポンプを渡し、次に残りのガソリンが入ったレジ袋を手渡した。ハカリサンは右手に携帯電話を持ったまま黙って受け取り、そしてそのまま、ふと床に置いてしまった。するとあっという間に袋がぺしゃんこになり、ガソリンが流れ出て、全て染みとなって広がってしまった。

　やはり三百円払わないとだめだろう。液体を入れた袋は置けばこうなると分かっていたのに、私はハカリサンに注意を促す義務を怠ったのだから。本当の値段も分からないまま、半分が百五十円だという理由だけで、三百円が全額だと思い込んでいる。私はハカリサンに三百円全額を払わなくてはいけない。

2008 11/23

ハカリサンニハカリガアリ....