西田町
西田町
朝夕数本の路線バスが、土埃をあげながら私を追い越してゆく。
駅から遠く南へ外れた町を歩いてた。西田町と呼ばれるこの辺りは、学校の他、雑草の生い茂った空き地、所々にある空家、あばら屋などがある程度で、昔から人を寄せ付けない地域だった。朝家を出て直接学校へ行かず、午前中は一人でこんな所をうろうろする。それが日課になってしまっていた。
今日も遅れる。三時間目がもう始っている。建て付けの悪くなった木造の引き戸と柱のすき間から、教室を覗く。担任教師が教科書を片手に、ゆっくりと教室を行ったり来たりしている。この厳格な雰囲気の中、どうやって入ってゆけばいいというのだろうか。きっとまず、この教室の扉、引き戸が引っ掛かり、大きな音をたてる。それだけで十分冷たい視線を受けるはずだ。そして教師が遅れる理由を尋ねてくる。いつもお前だ、どうしてちゃんと普通にできないんだ、きっとそう言われる。
思い起こしてみると、もう随分長い間数学や体育の授業を受けていない。一二時間目の授業は、ほとんど休んでしまっている。教師に注意されるくらいならまだしも、こんなにも授業を落としていたなら、いいかげん卒業ができないんじゃないか。自分の世界に没頭している内、肝心の学校を終わらせる事が出来なくなってしまったら、元も子もない。こんな一時の牢獄のような所こそ、急いで駆け抜けて行かねばならないというのに、意味の無い道草の所為で、また数年学校に縛られるのを想像すると、とてつもない恐怖心に見舞われる。
焦り始めた。私は焦って、そして冷静になり、今さらながら休んだ授業の数を数え始めた。卒業に必要な最低限の単位を満たしているのか、あわてて計算しはじめる。今学期も終わり近く、春からずっと遅刻を繰り返してきたのだから、危ない線だ。あと一日でも休んだらだめだろう。猶予日数三分の一を、もう使いきってしまうところだ。
気配を察知されたのか、引き戸が開いて、教室から美緒が出てきた。私と仲のいい彼女が出てきたのは意外だった。担任やクラス委員なら解るが、授業も中断せず、教師も他の生徒も、私に何の関心も示さず、そのまま授業を続けていて、しかも美緒が一人出てきたというのは不思議だ。いや、不思議を通り越して、むしろ相当深刻な状況になってしまっている事を私に直感させた。
お気に入りの薄草色のシャツを着て、開けっぱなしの扉に寄り掛かり、彼女は私に話し始める。
口調が穏やかで、表情もいつものままだったから、かえって私は衝撃を受けた。彼女は私を叱っている。私の不甲斐なさ、意志の弱さを叱っている。何でもないこと、遅れずにちゃんと来ることが出来ないのは、意志の弱さを物語っていると、言葉は違うが、そういった内容の話をしている。同僚の彼女に注意されるのが恥ずかしい。内面の弱さを見透かされているのが恥ずかしい。こんな事なら道草せずに真っすぐ学校に来ていれば良かった。きっと三十分も早く起きるだけで、こんな醜態を晒す事もなかったのだ。
明日こそはちゃんとしよう。早く起きてきちんと学校に行こう。そう思いつつ、何処かでまたあの町に嵌まってしまいそうな予感がする。憂鬱な懐かしさのある、何の変哲もない西田町に、意味もなく惹かれている自分。内向する自己に嫌気を感じつつ、そこにまた行ってしまいそうな、そんな予感がする。
一九九六年七月二一日
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1996年7月21日
西田町